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昇魂
1985年8月12日、真夏らしい暑い日の夕方だったと記憶している。
あの夏は春先に母親がガンで他界したこともあり、新盆のために遠く滋賀県から祖母が家事手伝いのために来ていてくれ、高崎の家で一緒に過ごしていた。そして祖母と一緒にそのニュースを知ったのは、まだ陽も明るい6時半頃のテレビの速報のテロップだった。
「日本航空 大阪行123便が長野県南牧村付近で行方不明…」
翌日には墜落地は群馬県上野村・御巣鷹山と訂正され、世界でも最大規模の航空機事故が群馬県内で起こってしまったことを知る。

あの夏から25年、四半世紀の月日が流れた。
坂本九さんが生きていたならば、今でも星空を見上げながら「上を向いて歩こう」を歌ってくれていただろうか。
そしてこの高崎からも、あの夏の甲子園(桑田・清原のPLが優勝した年)に出場した東京農大ニ高の同学年の選手の父親が甲子園に向かう途中にこの飛行機で亡くなった。
奇跡的に生存した4人の方も、亡くなった520人の尊い命を失ったその遺族の方々も、毎年毎年忘れる事ができない25年間だったことであろう。

日航機事故を描いた映画 「クライマーズハイ」 の舞台となった上毛新聞に今朝掲載された灯籠流しの写真を見ながら、あらためて追悼の思いをささげたいと感じた。
by mm_500 | 2010-08-12 23:53 | 日記ブログ
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